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2009年にアムステルダムのRoyal Tropical Instituteで修士号を取り、その後開発コンサルティング会社や政府系援助機関で働いています。

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David Bowie is に行けなかったから、この本を読んでみる。

David Bowie is というデビッド・ボウイ大展覧会が、今年の1月から4月9日まで天王洲で行われていました。
この展覧会、まるで世界ツアーのように、世界各国で行われており、やっと日本に上陸しました。
我々(というのは、僕と妻子)がパラグアイから帰国したタイミングで始まったので、機会があれば見に行きたいと思っていましたが、なんやかんやしている間に終わってしまい。。。

そんなわけで、最近、新書で出版された以下の本を読んでみました。
デビッド・ボウイが新書になるなんて思いもしなかったです。
しかも、新書の中でも結構手堅いと思われる筑摩書房から。

デヴィッド・ボウイ: 変幻するカルト・スター (ちくま新書1234)
野中 モモ
筑摩書房
売り上げランキング: 112,272


作者のモモさんは、ボウイと同年代の人かと思っていましたが、そうではなく70年代生まれの人でわりと若いです。リアルタイムでボウイを聴いたのは、おそらくLet's Danceからじゃないかと思います。

読んだ感想ですが、とても興味深かったです。ファンなら知っていて当たり前かもしれないけれど、自分にとっては知らなかったことがたくさん書かれており、サクサク読めました。

アルバム毎の章立てとなっており、デビューから亡くなる少し前にリリースされたラストアルバムまで網羅されています。

興味深かったのは、デビュー前夜から1983年に世界中を席巻したモンスターアルバムのLets Danceまでです。その中でも特によかったのが、グラムロック時代(ハンキ―・ドリー、ジギースターダスト、アラジンセイン)の前期傑作3枚と76-79年のStation to Stationとベルリン三部作に関する箇所です。

知らなかった点を挙げてみると、

ボウイ という 姓 は、 アメリカ の 西部 開拓 時代 の「 アラモ の 戦い」 で デビー・クロケット と 共闘 し た こと で 知ら れる ジム・ボウイ および 彼 が 愛用 し て い た タイプ の ナイフ、 その 名 も ボウイナイフ に ちなん だ もの だ。 デヴィッド は ジョン・ウェイン の 映画『 アラモ』( 一 九 六 〇) など を通して これら の「 開拓 の 英雄」 の 物語 に 親しん で い た の だろ う。

ボウイの名の由来が、西部開拓時代のものだったとは。意外でした。。。

ついに アメリカ でも ヒット を 飛ばし、 過去 最大 の 規模 の 大 成功 を 手 に し た よう に 見える 一 九 七 五 年 の デヴィッド・ボウイ だ が、 その 一方 で 私生活 は 荒れ きっ て い た。 まず 第一 に、 当時 の 写真 や 映像 に 残っ て いる 異様 に 瘦 せ 細っ た 姿 からも あきらか な よう に、 薬物依存 が どんどん 悪化 し て 健康 状態 が 非常 に 危うく なっ て い た。 最悪 の 時期 には 身長 五 フィート 一 〇 インチ( およそ 一 七 八 センチ) で、 体重 が わずか 九五 ポンド( およそ 四三 キロ) にまで 落ち て い た と いう。

ボウイが178㎝もあったなんて知りませんでした。せいぜい、170㎝前半くらいかなと。

次に、76年のアルバム。Station to Stationに関しての記述。

『地球 に 落ち て き た 男』 からの スチル 写真 が ジャケット に なっ た この アルバム が 作ら れ た のは、 デヴィッド が コカイン 中毒 の 淵 に 深く 沈ん で い た 時期 だっ た。 驚く べき こと に 本人 は、 これ が どんな ふう に 制作 さ れ た か「 何 も 覚え て い ない」 と 語っ て いる。 にも かかわら ず、 もしくは それ ゆえ に、 本 作 は デヴィッド・ボウイ の デヴィッド・ボウイ 性 が 結晶 し た かの よう な キャリア 屈指 の 強力 な 傑作 と なっ た。

『ヤング・アメリカン』 で 挑戦 し た ソウル や ファンク を 消化 し、 さらに 実験的 な 音響 処理 や 電子音楽 の 要素 も 取り込ん だ この アルバム は、 デヴィッド・ボウイ の アメリカ から ヨーロッパ への 過渡期 に 輝く 記念碑 だ。


一般的にはボウイの最高傑作はジギースターダスト(72年)もしくはLOW(77年)と言われています。でも、ジギースターダストほど取っつきやすくはないが、LOWほど難しくもない、ちょうどよい匙加減のStation to Stationが一番好きです。

Low制作時に関して、

「ベルリン は 僕 に 人 との つながり を 取り戻さ せ た ん だ。 おかげ で 僕 は ストリート に 戻る こと が でき た。 ストリート と いっ ても すべて が 冷たく て ドラッグ が ある ところ じゃ ない よ。 若く て 知的 な 人 たち が なんとか やっ て いこ う と し て い て、 自分 が 週給 いくら 貰う か 以上 の こと に 興味 を 持っ てる。 ベルリン っ子 は ストリート で アート が 何 を 意味 する かに 興味 が ある ん だ。 ギャラリー の 中 だけ じゃ なく てね」

あれほどスターになりたがったのに、スターになったことでいろいろと自分を擦切らしてしまった(喪失してしまった)ボウイが、ドイツで再生する過程。村上春樹のノルウェイの森のような話です(喪失と再生の物語)。

そして、Let's Danceのところでは、盟友ナイル・ロジャースのことが書かれているのですが、これが面白い。ナイルロジャースって、最近ではダフトパンクやファレル・ウィリアムスとコラボしていますが、83年にはボウイと組んでLet's Danceを完成させています。結構、茶目っ気のある人なんですね。

彼 が シック を 結成 する きっかけ と なっ た のは、 バック バンド の 仕事 で 赴い た ロンドン で ガールフレンド に 連れ られ て 観 に 行っ た ロキシー・ミュージック の ライブ だっ た。 ロキシー が「 音楽、 見た目、 それ に 観客 も すべて 波長 が 合っ て 完全 な 没入 体験 を 生み出し て いる」 様子 に いたく 感激 し た 彼 は、 その 晩 の うち に ニューヨーク に いる 音楽 仲間 の バーナード・エドワーズ に 国際電話国際電話 を かけ て「 俺 たち の 新 バンド の コンセプト を 思いつい た。 音楽 における 完全 没入 型 芸術的 体験 だ!」 と 告げ た。

82年頃 には あまりに も 流行り すぎ た ディスコ への 反発 が 激しく なり、 八 二 年 には 彼曰く「 世界 で いちばん クール な 男 だっ た のが 電話 を 折り返し て すら もらえ なく なっ て い た」。 つまり、 よく「 ボウイ は 売れ 線 を 狙っ て ロジャース を 起用 し た」 と 言わ れ て いる のは 確か に その 通り なの だ が、 彼 に 決め た 時点 では、 その 選択 は ボウイ にとって も 賭け に 違い なかっ た の だ。


僕は今まで、ボウイは売れるアルバムを作るために、プロデューサーにナイル・ロジャースを起用したと思っていたのですが、制作時の82年には、すでに彼は落ち目で世界で一番ダサい男に成り下がっていたんですね。でも、結局このアルバムを作ったおかげで、それまでダサい男に成り下がっていたロジャースは、復活して現在までもミュージシャンとして活動していることを考えると、彼にとってボウイは命の恩人です。

このあたりまでは、楽しく読めましたが、その後はバンド「ティン・マシーン」やそれ以降のソロの話でちょっと退屈してしまいました。でも、総じて面白い本です。今度は、時間が出来たら、ボウイの英語の自伝みたいなものを読んでみたいと思いました。



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comments(0)|trackback(0)|その他|2017-04-24_20:55|page top

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