STATION TO STATION

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TD

Author:TD
国際協力の仕事をしています。

2009年にアムステルダムのRoyal Tropical Instituteで修士号を取り、その後開発コンサルティング会社や政府系援助機関で働いています。

現在、バンコク(タイ)在住。

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コムチュアとスターマイカが上がった日

PMAC(プリンス・マヒドン・アワード)が開幕しており、一番忙しい時期を過ごしています。

そんな中、日経平均は大きく下げて保有銘柄も軒並み下落という状況ですが、コムチュアとスターマイカが明日への光明です。

コムチュアが9.44%、スターマイカが8.1%あがりました。
コムチュアは決算が良かったのと増配のせいです。
これでファイブバガー達成です。NISA枠をすべてコムチュアに充てていればスゴいことになったんですがね。現段階ではぜんぜんです。
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comments(0)|trackback(0)|その他|2018-01-30_21:51|page top

生活費がどの程度かかっているのか(2017年10月の場合)

日々の生活にどの程度のお金がかかっているのか調べてみようと思っていたのですが、やっと実現しました。

10月は8日間日本に帰国しており、その期間の支出は含まれていません。

食事代(外食):4744バーツ
食材代(スーパー、コンビニ):4357バーツ
交通代:1873バーツ
書籍代:700バーツ
光熱費(電気、水):2006バーツ
通信代(携帯電話):400バーツ
散髪代:440バーツ
交遊代:3470バーツ

計17,990バーツ(約61,166円)

厳密にいうと、このほかに家賃や診療代が含まれてきますが、どちらも一定程度補助が出ているので、含めていません。

10月は、8日間タイを離れていたのですが、その8日間をタイで過ごしたと仮定して計算すると、77,069円となります。

わりとメリハリをつけた支出を心がけているのですが、これまで以上にメリハリをつけた支出をしていければなと思います。
でも、ストレスを感じてしまうと本末転倒になってしまうので、出すところが出し、抑えるところはきちんと抑えるようにしようと思います。

ベンチマークを80,000円に設定して、今後の月々の支出を見ていきたいと思います。
comments(0)|trackback(0)|その他|2017-11-18_07:43|page top

今年一番の下げ

-1.4%の下げでした。おそらく今年一番の下げだと思います。

ここまで一本調子で上がり続け、どこかで調整が入ると思っていましたがこのタイミングで来ました。

ソニーが3%下げています。この銘柄1週間で20%くらい上がっていたので過熱気味だと思っていました。

こつこつと手堅く上がっていけばそれでOKです。

なんとなく明日も下がりそうな予感がします。
comments(0)|trackback(0)|その他|2017-11-09_13:58|page top

季節が変わった

先週は、前国王の葬儀が行われていましたが、それが終わったとたんに季節が変わったようです。

雨季が終わりました。
タイは、大きく分けて2つの季節(雨季、乾季)しかないので、雨季が終わると乾季になります。
ただ、乾季が始まりますが、同時に12月くらいまで気温が若干下がって行くようです。
最高気温はこれまでと変わらないようですが、最低気温が変わるようです。
これまでは25度を上がることはほとんどありませんでしたが、これからは22度位まで下がるようです。
そうなると、クーラーを付けて寝る必要がなくなることかもしれません。電気代が節約できて助かりますね。

最高気温は相変わらず30度を超えそうです。それでも、数度下がってだけでも実感としてだいぶ違うし、体への負担が減ります。
食欲もでてきますしね。

過ごしやすい季節はありがたいです。
comments(0)|trackback(0)|その他|2017-11-01_09:51|page top

10月の国王お葬式

10月26日の前国王のお葬式(告別式)があります。
昨年10月26日に死去されてから、今年の10月26日までの1年間が喪に服す期間となっており、多くの人が普段から黒色の服を着ています。

公務員も、ほぼ命令のような形で黒を身につけなければなりません。

そんな生活もあと少しです。
でも、10月27日から急に人々が明るい服に変えるのかなという疑問があります。
そんなに突然変わるのかな?と思います。

僕は、現在黒っぽい(紺色)の格好をしておりますが、喪服期間が終わってもこのままの格好で良いのじゃないかと思っています。紺色のワイシャツなんて、今後そうそう着る機会はなさそうだし、せっかくタイのユニクロで購入したものなので、タイに居る間はこれでいいと思っています。

でも、1人だけ紺色を格好をしていると変だという状況になるのであれば、考えを改めて白いシャツに衣替えしようと思っています。

10月26日は、お休みです。タイ国民の多くは、テンプル(寺)を訪問するはずです。ですので、大変な混雑が予想されます。
特にバンコクの王宮エリアはとんでもないことになりそうです。

ですので、一般的なタイ在住外国人は、家でのんびり寛ぐのが賢明かもしれません。

僕は、それほど賢明な人間ではないので、当日はテンプルにいく機会を伺っています。こういう機会というのは非常に貴重だと思います。多くの国民に愛された国王のお葬式に参列することは、タイ人を知る上で意義のあることだと思っています。

でも、そうなると真っ黒な格好をしないといけないので、黒服を購入する必要があります。紺だと駄目なんだろうな。。一時帰国の際に購入しようかな?

comments(0)|trackback(0)|その他|2017-09-12_11:12|page top

David Bowie is に行けなかったから、この本を読んでみる。

David Bowie is というデビッド・ボウイ大展覧会が、今年の1月から4月9日まで天王洲で行われていました。
この展覧会、まるで世界ツアーのように、世界各国で行われており、やっと日本に上陸しました。
我々(というのは、僕と妻子)がパラグアイから帰国したタイミングで始まったので、機会があれば見に行きたいと思っていましたが、なんやかんやしている間に終わってしまい。。。

そんなわけで、最近、新書で出版された以下の本を読んでみました。
デビッド・ボウイが新書になるなんて思いもしなかったです。
しかも、新書の中でも結構手堅いと思われる筑摩書房から。

デヴィッド・ボウイ: 変幻するカルト・スター (ちくま新書1234)
野中 モモ
筑摩書房
売り上げランキング: 112,272


作者のモモさんは、ボウイと同年代の人かと思っていましたが、そうではなく70年代生まれの人でわりと若いです。リアルタイムでボウイを聴いたのは、おそらくLet's Danceからじゃないかと思います。

読んだ感想ですが、とても興味深かったです。ファンなら知っていて当たり前かもしれないけれど、自分にとっては知らなかったことがたくさん書かれており、サクサク読めました。

アルバム毎の章立てとなっており、デビューから亡くなる少し前にリリースされたラストアルバムまで網羅されています。

興味深かったのは、デビュー前夜から1983年に世界中を席巻したモンスターアルバムのLets Danceまでです。その中でも特によかったのが、グラムロック時代(ハンキ―・ドリー、ジギースターダスト、アラジンセイン)の前期傑作3枚と76-79年のStation to Stationとベルリン三部作に関する箇所です。

知らなかった点を挙げてみると、

ボウイ という 姓 は、 アメリカ の 西部 開拓 時代 の「 アラモ の 戦い」 で デビー・クロケット と 共闘 し た こと で 知ら れる ジム・ボウイ および 彼 が 愛用 し て い た タイプ の ナイフ、 その 名 も ボウイナイフ に ちなん だ もの だ。 デヴィッド は ジョン・ウェイン の 映画『 アラモ』( 一 九 六 〇) など を通して これら の「 開拓 の 英雄」 の 物語 に 親しん で い た の だろ う。

ボウイの名の由来が、西部開拓時代のものだったとは。意外でした。。。

ついに アメリカ でも ヒット を 飛ばし、 過去 最大 の 規模 の 大 成功 を 手 に し た よう に 見える 一 九 七 五 年 の デヴィッド・ボウイ だ が、 その 一方 で 私生活 は 荒れ きっ て い た。 まず 第一 に、 当時 の 写真 や 映像 に 残っ て いる 異様 に 瘦 せ 細っ た 姿 からも あきらか な よう に、 薬物依存 が どんどん 悪化 し て 健康 状態 が 非常 に 危うく なっ て い た。 最悪 の 時期 には 身長 五 フィート 一 〇 インチ( およそ 一 七 八 センチ) で、 体重 が わずか 九五 ポンド( およそ 四三 キロ) にまで 落ち て い た と いう。

ボウイが178㎝もあったなんて知りませんでした。せいぜい、170㎝前半くらいかなと。

次に、76年のアルバム。Station to Stationに関しての記述。

『地球 に 落ち て き た 男』 からの スチル 写真 が ジャケット に なっ た この アルバム が 作ら れ た のは、 デヴィッド が コカイン 中毒 の 淵 に 深く 沈ん で い た 時期 だっ た。 驚く べき こと に 本人 は、 これ が どんな ふう に 制作 さ れ た か「 何 も 覚え て い ない」 と 語っ て いる。 にも かかわら ず、 もしくは それ ゆえ に、 本 作 は デヴィッド・ボウイ の デヴィッド・ボウイ 性 が 結晶 し た かの よう な キャリア 屈指 の 強力 な 傑作 と なっ た。

『ヤング・アメリカン』 で 挑戦 し た ソウル や ファンク を 消化 し、 さらに 実験的 な 音響 処理 や 電子音楽 の 要素 も 取り込ん だ この アルバム は、 デヴィッド・ボウイ の アメリカ から ヨーロッパ への 過渡期 に 輝く 記念碑 だ。


一般的にはボウイの最高傑作はジギースターダスト(72年)もしくはLOW(77年)と言われています。でも、ジギースターダストほど取っつきやすくはないが、LOWほど難しくもない、ちょうどよい匙加減のStation to Stationが一番好きです。

Low制作時に関して、

「ベルリン は 僕 に 人 との つながり を 取り戻さ せ た ん だ。 おかげ で 僕 は ストリート に 戻る こと が でき た。 ストリート と いっ ても すべて が 冷たく て ドラッグ が ある ところ じゃ ない よ。 若く て 知的 な 人 たち が なんとか やっ て いこ う と し て い て、 自分 が 週給 いくら 貰う か 以上 の こと に 興味 を 持っ てる。 ベルリン っ子 は ストリート で アート が 何 を 意味 する かに 興味 が ある ん だ。 ギャラリー の 中 だけ じゃ なく てね」

あれほどスターになりたがったのに、スターになったことでいろいろと自分を擦切らしてしまった(喪失してしまった)ボウイが、ドイツで再生する過程。村上春樹のノルウェイの森のような話です(喪失と再生の物語)。

そして、Let's Danceのところでは、盟友ナイル・ロジャースのことが書かれているのですが、これが面白い。ナイルロジャースって、最近ではダフトパンクやファレル・ウィリアムスとコラボしていますが、83年にはボウイと組んでLet's Danceを完成させています。結構、茶目っ気のある人なんですね。

彼 が シック を 結成 する きっかけ と なっ た のは、 バック バンド の 仕事 で 赴い た ロンドン で ガールフレンド に 連れ られ て 観 に 行っ た ロキシー・ミュージック の ライブ だっ た。 ロキシー が「 音楽、 見た目、 それ に 観客 も すべて 波長 が 合っ て 完全 な 没入 体験 を 生み出し て いる」 様子 に いたく 感激 し た 彼 は、 その 晩 の うち に ニューヨーク に いる 音楽 仲間 の バーナード・エドワーズ に 国際電話国際電話 を かけ て「 俺 たち の 新 バンド の コンセプト を 思いつい た。 音楽 における 完全 没入 型 芸術的 体験 だ!」 と 告げ た。

82年頃 には あまりに も 流行り すぎ た ディスコ への 反発 が 激しく なり、 八 二 年 には 彼曰く「 世界 で いちばん クール な 男 だっ た のが 電話 を 折り返し て すら もらえ なく なっ て い た」。 つまり、 よく「 ボウイ は 売れ 線 を 狙っ て ロジャース を 起用 し た」 と 言わ れ て いる のは 確か に その 通り なの だ が、 彼 に 決め た 時点 では、 その 選択 は ボウイ にとって も 賭け に 違い なかっ た の だ。


僕は今まで、ボウイは売れるアルバムを作るために、プロデューサーにナイル・ロジャースを起用したと思っていたのですが、制作時の82年には、すでに彼は落ち目で世界で一番ダサい男に成り下がっていたんですね。でも、結局このアルバムを作ったおかげで、それまでダサい男に成り下がっていたロジャースは、復活して現在までもミュージシャンとして活動していることを考えると、彼にとってボウイは命の恩人です。

このあたりまでは、楽しく読めましたが、その後はバンド「ティン・マシーン」やそれ以降のソロの話でちょっと退屈してしまいました。でも、総じて面白い本です。今度は、時間が出来たら、ボウイの英語の自伝みたいなものを読んでみたいと思いました。




comments(0)|trackback(0)|その他|2017-04-24_20:55|page top

レア―ドとメンドーサはメキシコ代表(WBC)

日ハムが誇る投打の助っ人が、メキシコ代表に名を連ねています。
イケメンドーサ(現在は、子どもが生まれたのでイクメンドーサ)がメキシカンというのは知っていましたので、メキシコ代表に入る可能性があると思っていましたが、レアードにもその可能性があったとは。親のどちらかがメキシカンのようです。でも、レアードの顔つきを見ている限り、典型的な白人(アングロサクソン)だとおもっていましたが、違ったようです。 最近、この書籍を購入して必死になって読んでいますが、たとえ打てなくても、三塁の守備とその明るい性格だけでスタメンに入れる価値があると栗山さんは語っていますが、その明るさの源は、メキシカンの血なのかもしれません。

 
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ところで、メンドーサはツイッターを持っており、その彼にスペイン語で「WBC頑張れ」とツイートしたところ、有難うと返信がありました。なかなかまめな性格のようです。 ちなみに彼の奥さんは英語ができないので、北海道の番組などでインタビューを受ける際には日本語―英語の通訳者がメンドーサに英語で質問し、それをメンドーサがスペイン語にして奥さんに伝えるというのを聞いたことがあります。

comments(0)|trackback(0)|その他|2017-03-04_21:07|page top