STATION TO STATION

work, life and myself

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TD

Author:TD
国際協力の仕事をしています。

2009年にアムステルダムのRoyal Tropical Instituteで修士号を取り、その後開発コンサルティング会社や政府系援助機関で働いています。

南米パラグアイから戻り、2017年5月からタイ(バンコク)に行くことが決まっています。

ブログのタイトルであるStation to Stationは、David Bowieの76年のアルバム名を引用しています。

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David Bowie is に行けなかったから、この本を読んでみる。

David Bowie is というデビッド・ボウイ大展覧会が、今年の1月から4月9日まで天王洲で行われていました。
この展覧会、まるで世界ツアーのように、世界各国で行われており、やっと日本に上陸しました。
我々(というのは、僕と妻子)がパラグアイから帰国したタイミングで始まったので、機会があれば見に行きたいと思っていましたが、なんやかんやしている間に終わってしまい。。。

そんなわけで、最近、新書で出版された以下の本を読んでみました。
デビッド・ボウイが新書になるなんて思いもしなかったです。
しかも、新書の中でも結構手堅いと思われる筑摩書房から。

デヴィッド・ボウイ: 変幻するカルト・スター (ちくま新書1234)
野中 モモ
筑摩書房
売り上げランキング: 112,272


作者のモモさんは、ボウイと同年代の人かと思っていましたが、そうではなく70年代生まれの人でわりと若いです。リアルタイムでボウイを聴いたのは、おそらくLet's Danceからじゃないかと思います。

読んだ感想ですが、とても興味深かったです。ファンなら知っていて当たり前かもしれないけれど、自分にとっては知らなかったことがたくさん書かれており、サクサク読めました。

アルバム毎の章立てとなっており、デビューから亡くなる少し前にリリースされたラストアルバムまで網羅されています。

興味深かったのは、デビュー前夜から1983年に世界中を席巻したモンスターアルバムのLets Danceまでです。その中でも特によかったのが、グラムロック時代(ハンキ―・ドリー、ジギースターダスト、アラジンセイン)の前期傑作3枚と76-79年のStation to Stationとベルリン三部作に関する箇所です。

知らなかった点を挙げてみると、

ボウイ という 姓 は、 アメリカ の 西部 開拓 時代 の「 アラモ の 戦い」 で デビー・クロケット と 共闘 し た こと で 知ら れる ジム・ボウイ および 彼 が 愛用 し て い た タイプ の ナイフ、 その 名 も ボウイナイフ に ちなん だ もの だ。 デヴィッド は ジョン・ウェイン の 映画『 アラモ』( 一 九 六 〇) など を通して これら の「 開拓 の 英雄」 の 物語 に 親しん で い た の だろ う。

ボウイの名の由来が、西部開拓時代のものだったとは。意外でした。。。

ついに アメリカ でも ヒット を 飛ばし、 過去 最大 の 規模 の 大 成功 を 手 に し た よう に 見える 一 九 七 五 年 の デヴィッド・ボウイ だ が、 その 一方 で 私生活 は 荒れ きっ て い た。 まず 第一 に、 当時 の 写真 や 映像 に 残っ て いる 異様 に 瘦 せ 細っ た 姿 からも あきらか な よう に、 薬物依存 が どんどん 悪化 し て 健康 状態 が 非常 に 危うく なっ て い た。 最悪 の 時期 には 身長 五 フィート 一 〇 インチ( およそ 一 七 八 センチ) で、 体重 が わずか 九五 ポンド( およそ 四三 キロ) にまで 落ち て い た と いう。

ボウイが178㎝もあったなんて知りませんでした。せいぜい、170㎝前半くらいかなと。

次に、76年のアルバム。Station to Stationに関しての記述。

『地球 に 落ち て き た 男』 からの スチル 写真 が ジャケット に なっ た この アルバム が 作ら れ た のは、 デヴィッド が コカイン 中毒 の 淵 に 深く 沈ん で い た 時期 だっ た。 驚く べき こと に 本人 は、 これ が どんな ふう に 制作 さ れ た か「 何 も 覚え て い ない」 と 語っ て いる。 にも かかわら ず、 もしくは それ ゆえ に、 本 作 は デヴィッド・ボウイ の デヴィッド・ボウイ 性 が 結晶 し た かの よう な キャリア 屈指 の 強力 な 傑作 と なっ た。

『ヤング・アメリカン』 で 挑戦 し た ソウル や ファンク を 消化 し、 さらに 実験的 な 音響 処理 や 電子音楽 の 要素 も 取り込ん だ この アルバム は、 デヴィッド・ボウイ の アメリカ から ヨーロッパ への 過渡期 に 輝く 記念碑 だ。


一般的にはボウイの最高傑作はジギースターダスト(72年)もしくはLOW(77年)と言われています。でも、ジギースターダストほど取っつきやすくはないが、LOWほど難しくもない、ちょうどよい匙加減のStation to Stationが一番好きです。

Low制作時に関して、

「ベルリン は 僕 に 人 との つながり を 取り戻さ せ た ん だ。 おかげ で 僕 は ストリート に 戻る こと が でき た。 ストリート と いっ ても すべて が 冷たく て ドラッグ が ある ところ じゃ ない よ。 若く て 知的 な 人 たち が なんとか やっ て いこ う と し て い て、 自分 が 週給 いくら 貰う か 以上 の こと に 興味 を 持っ てる。 ベルリン っ子 は ストリート で アート が 何 を 意味 する かに 興味 が ある ん だ。 ギャラリー の 中 だけ じゃ なく てね」

あれほどスターになりたがったのに、スターになったことでいろいろと自分を擦切らしてしまった(喪失してしまった)ボウイが、ドイツで再生する過程。村上春樹のノルウェイの森のような話です(喪失と再生の物語)。

そして、Let's Danceのところでは、盟友ナイル・ロジャースのことが書かれているのですが、これが面白い。ナイルロジャースって、最近ではダフトパンクやファレル・ウィリアムスとコラボしていますが、83年にはボウイと組んでLet's Danceを完成させています。結構、茶目っ気のある人なんですね。

彼 が シック を 結成 する きっかけ と なっ た のは、 バック バンド の 仕事 で 赴い た ロンドン で ガールフレンド に 連れ られ て 観 に 行っ た ロキシー・ミュージック の ライブ だっ た。 ロキシー が「 音楽、 見た目、 それ に 観客 も すべて 波長 が 合っ て 完全 な 没入 体験 を 生み出し て いる」 様子 に いたく 感激 し た 彼 は、 その 晩 の うち に ニューヨーク に いる 音楽 仲間 の バーナード・エドワーズ に 国際電話国際電話 を かけ て「 俺 たち の 新 バンド の コンセプト を 思いつい た。 音楽 における 完全 没入 型 芸術的 体験 だ!」 と 告げ た。

82年頃 には あまりに も 流行り すぎ た ディスコ への 反発 が 激しく なり、 八 二 年 には 彼曰く「 世界 で いちばん クール な 男 だっ た のが 電話 を 折り返し て すら もらえ なく なっ て い た」。 つまり、 よく「 ボウイ は 売れ 線 を 狙っ て ロジャース を 起用 し た」 と 言わ れ て いる のは 確か に その 通り なの だ が、 彼 に 決め た 時点 では、 その 選択 は ボウイ にとって も 賭け に 違い なかっ た の だ。


僕は今まで、ボウイは売れるアルバムを作るために、プロデューサーにナイル・ロジャースを起用したと思っていたのですが、制作時の82年には、すでに彼は落ち目で世界で一番ダサい男に成り下がっていたんですね。でも、結局このアルバムを作ったおかげで、それまでダサい男に成り下がっていたロジャースは、復活して現在までもミュージシャンとして活動していることを考えると、彼にとってボウイは命の恩人です。

このあたりまでは、楽しく読めましたが、その後はバンド「ティン・マシーン」やそれ以降のソロの話でちょっと退屈してしまいました。でも、総じて面白い本です。今度は、時間が出来たら、ボウイの英語の自伝みたいなものを読んでみたいと思いました。



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comments(0)|trackback(0)|その他|2017-04-24_20:55|page top

ディズニーランドに行ってきた。

東京ディズニーランドに行ってきました。

僕(32年くらい振り)
妻(10年くらい振り)
息子(初)

自宅からだと車で1時間10分くらいです。(高速使用時)
朝8時20分くらいに出発したところ、9時30分には現地に到着しました。

息子が小さいので、乗ることができるアトラクションは限られます。
乗ったのは、①アリスのティーパーティ、②ホーンテッド・マンション、③モンスターズ・インク、④ウェスタンリバー鉄道の4つです。
それぞれ、搭乗までの待ち時間は、①15分、②ファストパス使用、③70分、④35分。

そのほかに、筏に乗りトムソーヤ島に行きました。(時間を効率的に使うために、妻はレストランに並び、息子と二人でトムソーヤ島へ)

お昼は11時過ぎに、ハングリーベア・レストランで取りました。ハウス食品が提供しているただのカレーなんですが、すごくうまかったです。中辛なのに結構スパイシー。

ショッピングやアイスを食べたりして、16時半に出てきました。7時間の滞在。

日曜日で天気が良かったので、場内は人であふれかえっていたし、アトラクションに並ぶのは本当に疲れてしまったけれど、それでも得難い経験でした。32年くらい前に来たとき(小学3年生)には、カリブの海賊とスペースマウンテンに乗ったのを覚えており、カリブには乗りたかったのですが改装のため閉店中でした。

また来るか?と言われればちょっと迷ってしまうけれど、子どもはこういうのがたまらなく好きなはずなので、子ども次第でしょうか。
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comments(0)|trackback(0)|日本(日記)|2017-04-24_04:30|page top

最近の投資環境

2-3週間前は一時北朝鮮に関する地政学的リスクで、日経平均はダダ下がりしていました。

その結果、今年のプラス分が2週間位でゼロまでに下がってしまいました。その下がりっぷりには、日ハムのだめっぷりな戦いと相まって、相当落ち込みましたが、ここ1週間は、この北朝鮮の地政学的リスクが若干弱まり、日経平均は息を吹き返してきています。

日ハムは、相変わらずどうしようもないですが、僕の保有銘柄はそれなりに健闘しています。

三機サービスとソニーに期待しています。
特にソニーは、昨日業績の上方修正が発表されており、かなり期待できるような。

営業利益は2,850億円(従来予想2,400億円)、税引前利益が2,500億円(同1,960億円)、当社株主に帰属する当期純利益が730億円(同260億円)へと上方修正されています。

明後日が楽しみなんですが、明日のフランス大統領選の結果が気になります。この間のオランダ大統領選は無難な結果に終わりましたが、フランスでもし極右政党が政権を握ったら、また少しおかしな状況になっていくのかもしれません。


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comments(0)|trackback(0)|INVESTMENT|2017-04-23_06:21|page top

脱臼しちゃった。。。

明日で2歳11ヶ月になる息子が、左ヒジを脱臼しました。。

今日は、妻が仕事だったので、午後から息子と図書館に行って本を借りてきました。
図書館の駐車場で、息子を抱っこした時に彼の左腕に無理がかかってしまって、脱臼したのかもしれません。
幸い、近くの接骨院が開いていたので、すぐに治療を施してもらいましたが、子どもの脱臼は癖になりやすいということなので、気をつけなければなりません。少し強く腕を引っ張ったり、寝返りを打っただけで脱臼することがあるようです。

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comments(0)|trackback(0)|CHILD-REARING|2017-04-22_08:17|page top

渡航準備(1)

来週週末のタイへの渡航に向けて、準備を開始しています。
昨日は、ドンキホーテに行き、食材、生活用品等を購入してきました。
備忘録を兼ねて、どんなものを購入したか書いていきます。

・醤油
・味噌
・みりん
・味ポン
・めんつゆ
・カレー粉
・海苔
・黒胡麻
・乾燥わかめ
・珈琲
・珈琲ドリップ(プラスチック製)
・コーヒーフィルター
・サランラップ
・ジップロック
・フリーザーバッグ(ご飯等を冷凍)
・石鹸
・キッチン用スポンジ
・バブ(風呂にいれる)
・歯磨き粉
・アクエリアス粉末
・ガム

これで約1万円でした。

上記の中には現地調達できるものもありますが、最初は仕事が忙しそうなので、あまり出歩く時間もないと予想することから購入しておきました。

荷物は50キロまでと制限があるので、全部持っていけるかわかりませんが、とりあえずはパッキングを進めていきます。
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comments(0)|trackback(0)|東南アジア(日記)|2017-04-21_21:20|page top

I doからI want to do

これまで撮りためてきた息子の動画を、たまに見返すことがあります。

Facebookにアップロードし、家族内でシェアできるようにしています。

昨年10月に撮った動画を見ていてあることに気付きました。当時、息子は2歳5ヶ月くらいだったのですが、~したいという表現を使っていませんでした。なにかを開けたいときなどは 指を指して「あける」と言っていましたが、今では「あけりたい」と言えるようになっています。

これは英語だとI doだったのがIwant to doと言えるようになったということだと思います。

いつから、「~したい」と言えるようになったか覚えていませんが、こうやって言葉を覚えていくのかと妙に納得しました。

おそらく、僕が第二外国語を学ぶ過程とそれほど違わないんだろうなと思います。もちろん、吸収のスピードと両方たるや段違いだと思いますが。
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comments(0)|trackback(0)|CHILD-REARING|2017-04-10_09:16|page top